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東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)170号 判決

第一六八号事件原告 第一七〇号事件参加人 株式会社明輝製作所

第一六八号事件参加人 第一七〇号事件原告 総評全国一般労働組合神奈川地方本部

第一六八号事件 第一七〇号事件被告 中央労働委員会

主文

1  昭和五七年(行ウ)第一六八号事件原告株式会社明輝製作所の請求及び同年(行ウ)第一七〇号事件原告総評全国一般労働組合神奈川地方本部の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、昭和五七年(行ウ)第一六八号事件に関し生じたものは同事件の原告株式会社明輝製作所の負担とし、同年(行ウ)第一七〇号事件に関し生じたものは同事件の原告総評全国一般労働組合神奈川地方本部の負担とする。

事実

(以下においては、昭和五七年(行ウ)第一六八号事件原告であり、同年(行ウ)第一七〇号事件参加人である株式会社明輝製作所を、単に「会社」といい、昭和五七年(行ウ)第一六八号事件参加人であり、同年(行ウ)第一七〇号事件原告である総評全国一般労働組合神奈川地方本部を、単に「組合」といい、右両事件の被告である中央労働委員会を、単に「被告」という)

第一当事者の求める裁判

(A)  昭和五七年(行ウ)第一六八号事件について

一  原告会社

1 被告が中労委昭和五五年(不再)第五六号事件について昭和五七年九月一日付けでした命令を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

二  被告

1 原告会社の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告会社の負担とする。

との判決を求める。

(B)  昭和五七年(行ウ)第一七〇号事件について

一  原告組合

1 被告が中労委昭和五五年(不再)第五六号事件について昭和五七年九月一日付けでした命令中、元組合員上野充、同清水昭二、同内村善彦、同佐藤明及び同市村輝雄に関する残業及び休日出勤の取扱いの差別についての賃金相当額の支払を求める救済申立てを棄却した部分を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

二  被告及び参加人会社

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者の主張

(A)  昭和五七年(行ウ)第一六八号事件

一  請求の原因

1 組合は昭和五二年一〇月一八日神奈川県地方労働委員会(以下「地労委」という。)に対し、会社を被申立人として仕事差別等に関する不当労働行為救済の申立てをしたところ(神労委昭和五二年(不)第三三号)、地労委は、昭和五五年八月二六日付けで別紙(一)の救済命令(以下「初審命令」という。)を発した。会社は初審命令を不服として被告に対し再審査申立てをしたところ(中労委昭和五五年(不再)第五六号)、被告は、昭和五七年九月一日付けで、別紙(二)のとおり会社の再審査申立てを一部棄却する旨の再審査命令(以下「本件命令」という。)を発し、この命令は同年一〇月二一日会社に交付された。

2 しかし、本件命令には、次のような事実誤認、判断の誤りがある。

(一) 本件命令は、組合の組合員を雑作業等に従事させたことをもつて他の従業員と仕事上の差別をしたものとして不当労働行為になる、としている。しかし、会社は、組合員だけに雑作業を行わせたものではなく、他の従業員にも行わせており、組合員を差別したものではない。すなわち、

(1) 会社は、昭和五二年四月ころから受注が減少し仕事量が極端に少なくなつた。そこで、会社は、倉庫の整理、屋根や門柱のペンキ塗り等の職場環境を改善するための雑作業を行うこととし、その担当者の選定は、仕事量の減少した職務を担当するグループの中から、技術が低く仕事のなくなつた者に雑作業を担当させることとしたものであり、組合だけを差別してその作業をさせたものではない。たとえば、当時組合員であつた鈴木学(デジタルスケール・小型フライス担当)、布施(ラジアボール盤担当)、内村(小型フライス担当)らは、その担当部署に仕事が残つていたため、雑作業は担当していない。逆に、組合員以外の者でも、大和工場において、三沢、黒柳、北条、青柳が工場屋根のペンキ塗りを行い、鈴木(庸)、酒井が門、ポールのペンキ塗りを行い、横浜工場において、秋田、相馬、番田、菊地(重)がペンキ塗りを行い、佐山俊夫、岡田修一、長谷川誠、長門幸男、菊地(静)らが工場床の泥油はがし、壁のよごれ落しを相当日数を費して行つている。

(2) 会社は、本件命令が問題としている昭和五二年四月からの作業以外にも何回も全従業員の一致協力によつて、このような環境整備のための雑作業を実施してきている。本件作業の前後に実施された雑作業は次のとおりである。

昭和四八年一〇月 工場内白線引き

同年一一月二八日 テーブル、ロツカー移動

同年一二月    チエンブロツクオイル交換

昭和四九年一月  ボイラーフイルター交換

同年二月     仕上台板張

同年三月     アンカーボルト穴はつり

同年五月     機械移動

同年七月     整理棚製作

同年一〇月    アンカーボルト穴はつり

同年一二月    オイル廃油整理

昭和五一年一〇月 旧工場倉庫整理、三階床みがき

同年一二月    オイル廃油整理

昭和五二年二月  ボイラーフイルター洗い

昭和五三年七月  エアーコンプレツサーの移動

同年一一月    定盤の台作り

同年一二月    横中ぐり盤(機械)のみがき

昭和五四年一月  横中ぐり盤アンカーボルトの切断とコンクリートのハツリ

同年三月     門ペンキ塗り、成型品の整理

同年四月     材料の整理、工場屋根のペンキ塗り

同年五月     更衣室の掃除、ゴミ焼き、ゴミ捨て、冷房フイルターの掃除、蛍光燈の取替え(二〇〇本)、事務所寮の雨どい修理

同年六月     雨漏りの修理、仕上台、ミガキ小屋の移動

(二) 丹野誓志の仕事内容について

(1) 倉庫整理

本件倉庫には金型材料、モデル、機械等が納められていたが、昭和五一年一二月ころには整理不足のため乱雑となり、モデル等が崩れ落ちる危険があり、整理の必要があつた。昭和五二年四月当時丹野は佐藤グループ長の下で金型仕上げの仕事を担当していたところ、当時大和工場では金型仕上げの担当する仕事は全体的に減少しており、佐藤グループの全員が稼働するだけの仕事量がなかつた。そこで、同グループの中の一番の若手であり、技術的にも最も劣る丹野を倉庫整理にあてた。

(2) 屋根のペンキ塗り

大和工場は当時工場屋根のペンキがはがれ、塗替えの必要が生じていたので、右(1)と同様の理由で丹野にペンキ塗りを命じた。この時期には丹野の外にも、酒井、鈴木(庸)、黒柳、三沢、青柳らもペンキ塗りを行つている。

(3) 仕事取上げ

会社は、昭和五二年六月一五日から七月二〇日までの間、丹野の本来の仕事である鏡面みがきを行わせたけれども、納期に二度までも遅れ、またその結果も不十分であつた。そこで、会社は、丹野の技術を向上させるため熟練者のみがき作業を見学させ、自ら技術習得をはかる機会を与えたものであつて、仕事を取り上げたものではない。

(三) 上野充の仕事内容について

上野は当時石田グループ長の下で金型仕上げの仕事を担務しており、そのグループでは技術の低い若手であつた。そこで、上野についても丹野と同様の理由で倉庫整理等を行わせたものである。グリース落しは金型仕上げ本来の仕事である。機械のサビ取りは機械売却の必要が生じたために行つたものであり、その後殿塚精機に売却された。

(四) 佐藤明の仕事内容について

佐藤は佐藤正光グループ長の下で金型仕上げの仕事を担務しており、グループの中では一番の若手であつた。そこで丹野と同様の理由により倉庫整理をさせた。佐藤は弱視であるところ、本人の強い希望で昭和五一年七月から金型仕上げに配属したが、細かい傷を見付けてみがくという仕上げの仕事は不向きであることが判明したので、約一年後から工具の在庫管理等の作業に当たるよう指示したもので、工具の在庫調べ等の作業は本来の作業である。

(五) 兼田邦男の仕事内容について

兼田は鈴木グループ長の下で金型仕上げを担当しておりグループの中では一番若手であつたので、雑作業を命じたものである。

(六) 清水昭二の仕事内容について

(1) 屋根のペンキ塗り

横浜工場は、昭和四五、六年から二、三年おきに屋根のペンキ塗りを手の空いた従業員が交代で行つている。昭和五二年は五月二四日から六月二一日までの間に実日数七日間行つているが、清水に行わせたのは一日のみで、他に秋田、相馬、番田、菊地(重)にも行わせており、秋田、相馬は各々延べ四日間行つている。

(2) 型ばらしについて

型ばらしの仕事は、通常仕上げ担当の者が行うが、手が空いている者が応援することはしばしばある。清水が担当していた大型倣いフライスの仕事は、当時清水と大和田が担当していたが、大和田は経験年数も長く、技術的にも清水より上であつたので、大和田に本来の仕事を行わせ、手の空いた清水を型ばらしの作業につかせたにすぎない。

(七) 市村輝雄の仕事内容について

市村は小型フライス盤の仕事を担当していたが、受注量が減少しフライスの仕事が暇となつたため、同じようなフライスの仕事をしていた佐山、岡田、長谷川、長門、菊地らを床清掃の仕事につかせ、市村を草取りの仕事につかせたにすぎない。従来も草取りに環境整備の一環として手の空いた者が行つてきた。

(八) 残業及び休日出勤の差別について

(1) 組合は、残業拒否の闘争宣言をし、これに従つて残業を拒否したものである。

(2) 会社が、昭和五二年四月四日以降組合員に対して残業をさせないという決定をし、通知をしたことはない。当時会社の業務量は極端に減少し、残業がないときなのである。

(3) 丹野は、昭和五二年一月以降残業を申し出たことはない。

(4) 組合は会社に対し残業をするという通知もしていないし、それに関する団交申入れも行つていないのであるから、賃金相当額の支払を求めるのは不当である。

3 よつて、会社は本件命令の取消しを求める。

二  被告の答弁

請求原因第一項の事実は認める。同第二項の事実は否認する。本件命令は、労働組合法二五条、二七条、労働委員会規則五五条に基づき適法に発せられた行政処分であつて、処分の理由は命令書に記載のとおりである。

三  組合の主張

1 組合に対する差別攻撃の背景と経過

組合が昭和五一年一一月二〇日に公然化した時から、会社の組合つぶしが始まつた。まず、会社は組合の団体交渉の申入れを拒否した。会社は、組合の横浜分会及び大和分会に数々の支配介入と団結破壊の攻撃を行い、そのため組合員の数は、公然化後数か月で激減した。更に会社は、昭和五二年二月に、一部職制を使つて、組合に対抗した反共意識と労使協調路線に満ちた明輝製作所労働組合なる第二組合を結成させ、分会員に対しては、見せしめ的な仕事差別を行つた。

2 組合員に対する仕事差別について

会社は、この時期は仕事は忙しくなかつたとか、他の従業員もペンキ塗り等の雑作業を行つたと主張している。しかし、当時、会社の仕事は暇ではなく、丹野分会員の所属グループは全員日曜日でも出勤するほどで、他のグループの応援も受けていた。また、上野分会員は目の前の仕事を取り上げられて雑作業に従事させられた。更に、他の従業員がペンキ塗り等の雑作業に従事したことはあつても分会員のように長期間屈辱的な仕事に従事させられた者はいない。

3 残業及び休日出勤の差別について

会社は、組合は、昭和五一年一二月一三日付け闘争宣言で時間外拒否闘争を宣言したことにより分会員らは自ら残業を拒否していると、主張している。しかし、組合の右の闘争宣言は、会社の団体交渉拒否に対する抗議として、将来の闘争方針を掲げたものにすぎず、ここに記載された闘争方法をすべてその時から実行するとしたものではない。また、右の闘争宣言以後も分会員の大多数は残業を拒否していない。ただ、丹野ら分会員の中心的メンバーについては、会社の組合に対する攻撃についての組織防衛対策と団体交渉拒否について地労委への救済申立ての準備のため、残業時間が少なくなつたにすぎない。

また、会社は、組合から残業、休日出勤拒否に対して抗議がなかつたと主張している。しかし、会社が分会員に対して、残業、休日出勤の拒否通知をしたのは昭和五二年四月であるところ、分会は同月八日付けの機関紙「だるま」で抗議のビラ撒きをし、かつ、同年六月二八日組合結成後はじめて開かれた団体交渉の席でも組合は会社に対し残業要請をしたが、会社は「残業は業務命令でやつてもらう。」と回答した。

(B)  昭和五七年(行ウ)第一七〇号事件

一  請求の原因

1 組合は昭和五二年一〇月一八日地労委に対し会社を被申立人として仕事差別等に関する不当労働行為救済の申立てをしたところ(神労委昭五二年(不)第三三号)、地労委は、昭和五五年八月二六日付けで別紙(一)の初審命令を発した。会社は初審命令を不服として被告に対し再審査申立てをしたところ(中労委昭和五五年(不再)第五六号)、被告は、昭和五七年九月一日付けで、別紙(二)のとおり本件命令を発し、この命令は同年一〇月二一日組合に交付された。

2 本件命令には、次のように組合を脱退した者についての組合の救済の利益を否定した点において違法がある。

被告は、本件命令において、初審結審時に既に組合を脱退している上野充、清水昭二、内村善彦、佐藤明及び市村輝雄に関する残業及び休日出勤の取扱いの差別についての賃金相当額の支払を求める救済申立てにつき、「同人らは組合による救済を求める意思を明らかにしていないのであり、他に格別の事情も認められない本件においては、組合は同人らの不利益是正に関する被救済利益を失つたものと解するのを相当と考える。」として、これを棄却した。しかし、この判断は不当である。

(一) 組合員が組合員資格を喪失したからといつて、組合はそれらの者の不当労働行為による不利益是正に関する被救済利益を当然に失うものではない。本件命令は、脱退組合員に組合による救済を求める意思を明示することを要求している点で、不当である。逆に脱退組合員から請求を放棄する旨の明確な意思表示のないかぎり、同人らは引き続き組合による救済を求める意思を維持しているものとするのが相当であり、現に右上野ほか四名は現在も組合による不利益の救済を求めているのである。

仮に、脱退組合員に対し組合による救済を求める意思を明示することを要求するとしても、労働委員会としてはその意思の確認を行つたうえで命令を発すべきであり、これを行わないで救済申立てを棄却すること自体が不意打ちであり、違法、不当である。

(二) 不当労働行為の救済申立ての後に組合員資格を喪失した者の不利益を救済することが、申立組合の侵害された団結権の回復に不可欠である。すなわち、脱退組合員について組合による救済を否定することは、使用者にいわば不当労働行為のやり得を許すこととなるのであり、団結の維持強化のためには、組合員が組合の方針に従つて行動をしたことの故に使用者から不当労働行為を受けた場合には、組合により不当労働行為による不利益の是正、回復の救済措置がとられることが不可欠である。これを労働委員会への救済申立てについていえば、労働組合がその救済を申し立てた後に組合員資格を喪失した者についても、その者の不利益をも除去し救済を図ることによつて、他の組合員や新たに組合員になろうとする者らの労働組合に対する信頼、支持、参加を一層強固にし、団結を強化することとなるのである。

(三) 不利益取扱いを受けた組合員は、労働組合による救済申立後組合員資格を失つたからといつて、自己の被つた不利益の回復を求める意思を失つていないのが常である。本件命令のような解釈は、労働委員会制度の目的に照らして不当である。

3 よつて、本件命令中、元組合員上野充、同清水昭二、同内村善彦、同佐藤明及び同市村輝雄に関する残業及び休日出勤の取扱いの差別についての賃金相当額の支払を求める救済申立てを棄却した部分の取消しを求める。

二  請求原因に対する被告及び参加人会社の答弁

請求原因第一項の事実は認めるが、同第二項は争う。

三  被告の主張

不利益取扱いを受けた労働組合員が労働組合を脱退した場合であつても、労働組合が組合員に関し不利益是正を求める利益が当然に消滅するといえないことは組合の主張するとおりである。しかし、一般に労働組合の統制からはずれた脱退者は、脱退した労働組合に申立てを維持することを引き続き授権しているとは必ずしも認め難く、もし授権しているとするならば、労働組合がその脱退者に関して授権により被救済利益のあることを示す諸事情を明らかにすべきである。また、脱退者に関し個別的な不利益救済がされないことには、労使関係正常化の措置としての救済が適切に行われず、団結権侵害からの回復があり得ないとする事情についても労働組合において明らかにすべきである。

更に、労働組合による救済を求める意思が明確でない脱退者につき労働委員会がその意思を確認すべきであるとの組合の主張は、不当労働行為制度における労働委員会の役割に対する理解が不十分なことによるものである。すなわち、労働委員会が不当労働行為制度において目的とするのは、不当労働行為に対しいわゆる原状回復を図ることにより、将来の労使関係の正常化をめざすものであるところ、労働委員会が請求を放棄する意思や組合による救済を求める意思を確認、調査することは、労使関係正常化の新たな阻害原因となるおそれがあるからである。

本件においては、上野ら五名は組合を脱退し、組合の統制を離れたが、それでも同人らの不利益是正が組合の団結権強化に寄与できる格別の事情があることについては被告における審査の全過程を通じて認められなかつた。そこで、同人らの不利益是正に関する組合の被救済利益は消滅したものと解さざるを得なかつたのである。

第三証拠〈省略〉

理由

一  本件命令の成立

組合が昭和五二年一〇月一八日地労委に対し、会社を被申立人として仕事差別等に関する不当労働行為救済の申立をしたところ(神労委昭和五二年(不)第三三号)、地労委は、昭和五五年八月二六日付けで別紙(一)の初審命令を発したこと、会社は初審命令を不服として被告に対し再審査の申立てをしたところ(中労委昭和五五年(不再)第五六号)、被告は、昭和五七年九月一日付けで別紙(二)の本件命令を発し、この命令は同年一〇月二一日会社及び組合に交付されたことは、当事者間に争いがない。

二  当事者

いずれも成立に争いのない乙第一号証、第六号証、第六五号証、証人丹野誓志の証言及び弁論の全趣旨によれば、組合は、肩書地に事務所を置く労働組合であること、組合の下部組織である湘南地域支部明輝製作所大和分会(以下「大和分会」という。)及び港北地域支部明輝製作所横浜分会(以下「横浜分会」という。)は、会社の大和工場及び横浜工場の従業員によつて組織され、昭和五一年一一月二〇日に公然化されたものであること、初審結審時には、分会員は丹野誓志一名のみとなり、他はいずれも組合を脱退したこと、一方、会社は、肩書地に本社と工場を置き、大和市上和田に大和工場を、横浜市緑区に横浜工場を有し、家庭電器製品のプラスチツク金型の設計、製作を業としている株式会社で、従業員は約一九〇名であること、が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

三  組合公然化から昭和五二年三月ころまでの労使関係

いずれも成立に争いのない乙第六二、第六三号証、第六五号証、第八八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一〇号証から第一五号証まで、証人相馬興治(ただし、後記の信用しない部分を除く。)、同丹野誓志の各証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する証人相馬興治の証言の一部は信用することができず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1  横浜分会及び大和分会は、昭和五〇年ころ非公然に組織されていたが、昭和五一年一一月二〇日公然化することとなり、同日、組合役員及び両分会役員が会社に公然化を通知するとともに、団体交渉の申入れをした。公然化当時、会社の横浜工場では従業員八〇名中六四名が、大和工場では従業員六〇名中五四名がそれぞれ組合の各分会員であつた。

2  組合は、同年一一月二〇日及び三〇日の二回にわたつて会社に団体交渉の申入れをしたが、会社は団体交渉に応じなかつた。

3  会社は、分会の公然化後、管理職員において組合員に対し組合脱退の説得を行い、組合に対する誹謗、中傷を行つた。

この結果多数の組合員から脱退届が一括して送付されるなど脱退者が相次ぎ、昭和五二年四月には、大和分会の組合員は八名、横浜分会の組合員は三名に減少してしまつた。

4  一方、大和分会及び横浜分会を脱退した者を中心として昭和五二年二月一六日に明輝製作所労働組合が結成された。

5  組合は、右2の会社の団体交渉拒否が不当労働行為であるとして地労委に対し救済の申立てをし、更に右3の会社の行為が労働組合の結成、運営に対する支配介入であるとして地労委に対し救済の申立てをした。

四  会社が分会員に対して命じた仕事の内容

いずれも成立に争いのない乙第六五号証から第七一号証まで、第七三号証から第七七号証まで、第八七、第八八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一〇号証から第一五号証まで、第一九号証、第二一号証、第二七、第二八号証、第四八号証、第五二号証、第五六号証、証人相馬興治、同丹野誓志の各証言を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  丹野誓志について

同人は、昭和四八年三月に会社に入社し、大和工場において佐藤正光グループ長や鈴木庸夫グループ長の下で金型仕上げの仕事を担当していた。組合における役職は、公然化当時は大和分会の副分会長であり、その後分会長代行となつた。

(一)  倉庫の整理

同人は、昭和五二年四月中旬の約一〇日間、天野係長の命により、大和工場の倉庫において、古材、古くなつた機械、さびたボルト、腐つた畳などの整理を一人で行つた。

(二)  機械の掃除

同人は、同年五月二三日から約一週間、大和工場の倉庫において、旋盤や放電加工の古い機械の掃除をした。

(三)  屋根のペンキ塗り

同人は、同年七月二一日から八月一〇日まで、雨天の日を除いて、三沢生産技術部長の命により、大和工場の屋根のペンキ塗りを行つた。この作業は、三沢生産技術部長や青柳部長がごく一部を手伝つたほかは、丹野が一人で行つた。丹野は、炎天下の作業のため体調をこわし、高部工場長にペンキ塗りをやめさせてほしいと頼んだが、同工場長はこれに応じなかつた。また、同人は、三沢部長に命じられて、同月末ごろから同年九月初めころまで寮の非常階段のペンキ塗りを行つた。

(四)  仕事の取り上げ

丹野は、同年八月一九日から同年一一月中旬ころまで、前記の寮の非常階段のペンキ塗りを命じられたほかは、何らの仕事も与えられず、他の従業員のする仕上げの仕事を見ているようにと命じられた。

2  上野充について

同人は、昭和四六年三月会社に入社し、大和工場において石田保勝グループ長や宮崎グループ長の下で金型仕上げの仕事を担当していた。組合における役職は、大和分会の書記長であつた。同人は、昭和五四年五月七日会社を退職し、そのころ組合を脱退した。

(一)  倉庫の整理

同人は、天野係長の指示により、昭和五二年四月二一日から三日間大和工場の倉庫の掃除をし、また、同年五月一二日と一三日に倉庫でモデルを置くための棚作り、モデルの片付けなどをした。

(二)  グリース落し

同人は、天野係長の指示により、同年四月二七日から五月一一日まで、及び同月二〇日から二三日までの間、旧型モデルのグリース落しをした。グリース落しとは、グリースを塗つた金型を石油で洗い、ウエスでふいて、細かいところはエアーコンプレツサーで吹き飛ばす作業であつて、汚れが激しい作業である。同人は、一人で、大和工場の金型だけでなく、横浜工場の金型についてもグリース落しをした。

(三)  機械のサビ取り

同人は、天野係長の指示により、同年五月一八日及び一九日、六月一四日及び一五日に倉庫で、使つていない機械のさび落しをした。

(四)  その他の雑作業

同人は、天野係長の指示により、同年八月二日に冷房の送風口の網のよごれ落しをし、同月四日コンプレツサーの運搬、同年九月六日クレーン点検の手伝いなどをした。

3  佐藤明について

同人は、昭和五〇年三月会社に入社したが、弱視であるため、当初は平面硝削の仕事をしていたが、翌五一年六月ころからは本人の希望もあつて大和工場において石田保勝グループ長の下で金型仕上げの仕事をすることとなつた。組合の役職は大和分会の分会委員であつた。同人は、昭和五三年四月一〇日会社を退職しその前に組合を脱退した。

(一)  倉庫の整理

同人は、天野係長の指示により、昭和五二年七月八日から一二日まで、同月一六日から二〇日まで及び同月二五日から二九日までの間、大和工場の倉庫において、使わない古い金型材料の整理、部品を整理するための棚作り、加工用モデル型の整理などをした。

(二)  機械のサビ取り

同人は、天野係長の指示により、同年八月及び九月の二か月間、古い機械のサビや汚れ落しなどを他の人が何回かした後に、二度、三度と繰り返し行つた。

(三)  その他の雑作業

同人は、同年八月末以降同年一〇月中旬ころまでの間、天野係長の指示により、工具室の在庫調べ、古い切断機のペンキ塗り、仕上げ台のホコリ払い、コンプレツサーの移動、更衣室や会議室の掃除、門扉のサビ取りやペンキ塗りなどの雑作業にもつぱら従事した。

4  兼田邦男について

同人は、昭和四九年三月会社に入社し、大和工場において鈴木庸夫グループ長の下で金型仕上げの仕事を担当していた。組合における役職は大和分会の分会委員であった。同人は、昭和五四年五月三一日会社を退職し、そのころ組合を脱退した。

同人は、昭和五二年七月四日から八日まで及び同月一一日に天野係長の指示により、大和工場の冷房タンクの脚のサビ落し及びペンキ塗り、工場屋根のサビ落し、掃除、ペンキ塗りをした。この仕事は黒沢社長付も手伝つたが、同人は時々顔を見せ一寸手伝うという程度であつて、大部分は兼田が一人で行つた。

5  清水昭二について

同人は、昭和四六年三月に会社に入社し、横浜工場において加藤グループ長の下で大型倣いフライス盤の仕事を担当していた。組合の役職は横浜分会の分会長であつた。同人は、昭和五三年一〇月に分会を脱退した。

(一)  屋根のペンキ塗り

同人は、鈴木工場長の指示により昭和五二年五月二四日横浜工場の屋根のペンキ塗りをした。

(二)  旧型型ばらし

同人は、加藤グループ長の指示により同年五月二五日から三日間旧型金型の型ばらしを行つた。同人はそのころ第一腰椎体変形症となり約三週間会社を休んだ。

(三)  焼入れ作業

同人は、同年六月二七日から出勤したが、相馬係長から指示されて焼入れの仕事を行うようになつた。

(四)  その他

同人は、昭和五三年五月ころ焼入れから雑用の担当へ変わるよう命じられ、定まつた仕事がなく、工場長がその都度仕事の内容を指示することとなつた。同人は、同年一〇月分会を脱退したが、その後本来のフライス盤の仕事をするようになつた。

6  市村輝雄について

同人は、横浜工場において小林グループ長の下で小型倣いフライス盤の仕事を担当しており、組合の役職は、横浜分会の分会員であつたが、昭和五二年六月二一日会社を退職し、そのころ組合を脱退した。

同人は、同年五月二三日から同年六月三日までの間、鈴木工場長の指示により一人で横浜工場のグランドの草取りを命じられた。

五  残業及び休日出勤について

いずれも成立に争いのない乙第六五号証から第七一号証まで、第七三号証から第七七号証まで、第八七、第八八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認めることができる乙第一六号証、第一八号証、第二七号証、第三六号証、第五三号証から第五五号証まで、証人相馬興治、同丹野誓志の各証言(ただし、後記の信用しない部分を除く。)を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する乙第七一号証、第七三号証から第七七号証まで及び第八七号証中の供述記載の各一部、証人相馬興治の証言の一部並びに乙第八四、第八五号証は信用することができず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

従来、会社における残業及び休日出勤(以下「残業等」という。)の取扱いは、原則としては、グループ長が仕事の進みぐあいを見て、グループ員に残業等の依頼をすることとし、場合によつてはグループ員の方から自発的に残業等をすることを申し出て、それをグループ長が承認することもあつた。組合が公然化する直前の昭和五一年一月から一一月までの間の月間の残業等の時間は、月によつて異なるが、おおむね二〇時間から四〇時間程度であつた。ところが、昭和五二年四月四日、大和工場において所属の各グループ長を通じて分会員に対して残業等をさせない旨の通告があつた。これについて、丹野分会長代行及び上野書記長が高部工場長に説明を求めると、同工場長は「今まで残業を頼んだ時にやつてくれなかつたのだから、今後は分会員には残業を頼まない」との趣旨の回答をした。横浜工場においては、同年四月一三日に清水昭二が残業届を出したところ、残業を拒否された。その後、加藤グループ長が清水らに「分会員は残業しないでいいと工場長からいわれている。」との発言をした。

その後組合においては、ビラ等で、残業をさせないことは分会に対する差別であると抗議をしたけれども、クレーン作業講習会へ出席のために残業が命じられたのを除いては、大和工場及び横浜工場において、分会員に残業等を拒否され続けてきた。

これに対し、分会員以外の従業員に対しては残業等が命じられてきた。

六  会社が分会員に雑作業を命じたことと不当労働行為の成立について

分会員が昭和五二年四月以降雑作業を命じられ、あるいは本来の仕事をすることを命じられなかつたことは、前記四において認定したとおりである。

これについて、会社は、当時受注が減少し、仕事量が少なくなつたので、倉庫の整理、屋根や門柱のペンキ塗り等の職場環境を改善するために雑作業を行うこととしたもので、特に分会員のみに雑作業を行わせたものではない、と主張する。そして、成立に争いのない乙第六五号証、第七三号証から第七七号証まで、証人相馬興治、同丹野誓志の各証言を総合すれば、会社の受注は昭和五二年四月ころ急激に減少したこと、会社はそのために手の空いた従業員に倉庫の整理等の雑作業を行わせて、職場の環境整備を行つたこと、分会員以外の従業員の中にもこれらの雑作業に従事した者がいること、会社が従業員にこのような雑作業を命じたのは昭和五二年が始めてではなく、それ以前にもそれ以後にも例があることが認められる。

しかし、一方、成立に争いのない乙第六五号証から第七一号証まで、第七三号証から第七七号証まで、証人相馬興治、同丹野誓志の各証言を総合すれば、分会員以外の従業員で、分会員のように長期間にわたり雑作業を命じられた者はいないこと、分会員の命じられた雑作業の中には例えば倉庫整理や屋根のペンキ塗りのように数人共同して作業をした方が能率的であり、相当でもある作業があるが、これらの作業も一人で行うように命じられていること、分会員上野充の命じられた旧型モデルのグリース落しは、上野の所属する大和工場のものの外、横浜工場のものも含まれていたこと、分会員上野充や佐藤明にサビ落しを命じた機械は、他へ売却するからということで整備を命じたものであるにもかかわらず、その後も依然として倉庫に放置されたままであること(これを他へ売却したとする乙第七〇号証の三沢喬の供述記載及び乙第七四号証の黒柳告芳の供述記載は信用できない。)、分会員丹野誓志に命じた工場の屋根のペンキ塗りは屋根の約半分の部分のペンキ塗りが行われた時点で中止され、残りの半分はペンキが塗られない状態のまま放置されたこと、分会員丹野誓志に対し昭和五二年八月一九日から同年一一月中旬ころまで何らの仕事も与えず、他の従業員のする仕上げの仕事を見ているように命じたまま何ら具体的な仕事の指導をしなかつたこと、の各事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

以上認定のような会社が分会員に対して命じた雑作業の内容、期間、態様、必要性や他の従業員が命じられた雑作業との比較等の事情及び組合公然化から昭和五二年三月までの労使関係の情況を考慮すると、会社が分会員に前記のような雑作業を命じあるいは本来の仕事をすることを命じなかつたことは、明らかに他の従業員に対する取扱いとは差異があり、組合の存在を嫌悪した会社が組合員に対して行つた不利益取扱いであり、またそれによつて組合の弱体化をはかつた支配介入行為であると認めるのが相当である。

七  残業等を命じなかつたことと不当労働行為の成立について

会社が昭和五二年四月以降、クレーン作業講習会への出席のための残業を除き分会員に対して分会員が残業及び休日出勤をする旨申し出てもこれを認めず、分会員以外の従業員に対しては残業及び休日出勤を命じていることは前記認定のとおりである。

これについて、会社は、組合が残業拒否の闘争宣言をし組合員はこれに従つて残業を拒否しているのであつて、会社の方から残業の申出を拒否したことはないと主張しているけれども、成立に争いのない乙第六二、第六三号証によつても、組合が残業拒否の方針を現実に実行に移したことを認めるに足りず、他に組合員が残業を拒否したことを認めるに足りる証拠はない。かえつて、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第一六号証によれば、組合は昭和五二年四月八日付けの機関紙「だるま」において、会社が組合員に残業をさせないことに対して抗議をしていることが認められるのであつて、会社の主張は採用できない。

そうすると、会社は何ら合理的な理由がないのに、組合員に対してだけは残業及び休日出勤を命じていないこととなり、このことは、組合の弱体化を意図した不利益取扱いであり組合の運営に対する支配介入行為であるといわざるをえない。

八  以上のとおり、組合員に対する仕事の差別並びに残業及び休日出勤拒否を不当労働行為とした被告の判断に誤りはない。そして、右の不当労働行為に対して、組合員に対する仕事上の差別並びに残業及び休日出勤拒否を禁止し、組合員丹野誓志に対し残業及び休日出勤によつて得たであろう賃金相当額に年五分の額を加算して支払うべきことを命じ(なお、「残業及び休日出勤によつて得たであろう賃金相当額」とは、本件についての地労委及び中労委における審理の経過によれば、組合員以外の現業労働者の残業時間及び休日出勤時間の平均数だけ残業及び休日出勤をしたものとして算出された賃金相当額を意味するものと解される。)更に会社に対して誓約書の掲示を命じた本件命令に違法はない。

よつて、本件命令の取消しを求める会社の請求は理由がない。

九  労働組合脱退者の不利益是正に関する労働組合の被救済利益について

本件救済の申立てにおいて、組合は、組合員について残業及び休日出勤の取扱いに関し差別を是正されるまでの間、各組合員が残業及び休日出勤をしたものとして、これにより得たであろう賃金相当額の支払を求めたところ、本件命令は、初審結審時に既に組合を脱退している者については、同人らは組合による救済を求める意思を明らかにしていないのであり、他に格別の事情も認められないから、組合は同人らの不利益是正に関する被救済利益を失つたものと解して、同人らについての前記の賃金相当額の支払を求める救済申立てを棄却したものである。これに対し、組合は、右の判断が不当であると主張している。

思うに、労働組合法二七条に定める労働委員会の救済命令制度は、労働者の団結権及び団体行動権の保護を目的とし、これらの権利を侵害する使用者の一定の行為を不当労働行為として禁止した同法七条の規定の実効性を担保するために設けられたものであるところ、同条が正当な組合行動をした故をもつてする不利益取扱いを特に不当労働行為として禁止しているのは、右の不利益取扱いが、一面において、当該労働者個人の雇用関係上の権利ないしは利益を侵害するものであり、他面において、使用者が右の労働者に対し不利益な取扱いをすることにより、労働者らによる組合活動一般を抑圧ないしは制約する故なのであるから、これに対する救済は、不利益取扱いを受けた労働者の個人的被害を救済するという機能だけではなく、あわせて、組合活動一般に対する侵害の面をも考慮し、このような侵害状態を除去、是正して法の所期する正常な集団的労使関係秩序を回復、確保するという機能をも有するものと解しなければならないのである。

それ故に、不利益取扱いにより労働者が受けた被害を救済することは、労働者の個人的被害の救済であると同時に組合活動一般に対する侵害の救済でもあるということができる。したがつて、不利益取扱いにより労働者が受けた被害を救済することにつき、労働組合は労働者個人の利益とは離れた固有の利益を有するのであるから、不利益取扱いを受けた労働者の意思に基づかなくとも、当該労働者が受けた被害の救済を求める利益を有するものといわなければならない。

しかし、このことは、労働組合が不利益取扱いにより労働者が受けた被害の救済につき固有の利益を有するというにとどまり、直ちに具体的な救済方法として労働者個人に対して賃金相当額の金員の支払を命じることが相当であるということにはならない。当該労働者が労働組合を脱退した場合にその者が受けた不利益を除去することは、その者が労働組合による救済を受ける意思を有しているとしても、そのことだけでは、特段の事情がない限り、労働組合自体としてはその利益侵害の回復に寄与するところがあるということはできないから、このような場合に脱退組合員に賃金相当分の金員の支払を命ずることは救済方法として適切を欠き許されないものというべきである。

本件においては右のような特段の事情が存在することについての主張、立証はないから、本件命令が脱退した組合員に賃金相当額の金員の支払を命じることを認めなかつたのは結論において相当である。

一〇  むすび

よつて、昭和五七年(行ウ)第一六八号事件における会社の請求及び昭和五七年(行ウ)第一七〇号事件における組合の請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用(参加により生じたものを含む。)の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九四条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 今井功 矢崎博一 藤山雅行)

(別紙(一))

命令書

(神奈川地労委昭和五二年(不)第三三号 昭和五五年八月二六日 命令)

申立人 総評全国一般労働組合神奈川地方本部

被申立人 株式会社明輝製作所

主文

1 被申立人会社は、申立人組合の組合員に対し、他の者と仕事上の差別をしてはならない。

2 被申立人会社は、昭和五二年四月四日付けの申立人組合の組合員に対する残業および休日出勤拒否の通告を取消し、組合員に対し、従前通りの方法で残業および休日出勤を行わせなければならない。

被申立人会社は、昭和五二年四月五日以降、被申立人会社が従前通り組合員を、残業および休日出勤させるに至るまでの期間、組合員が残業および休日出勤によつて得たであろう賃金相当額に年五分相当額を加算して支払わなければならない。

3 被申立人会社は、本命令交付後一週間以内に縦一メートル、横二メートル以上の木板に下記文書を明瞭に墨書し、被申立人会社の東京本社、大和工場および横浜工場の正面入口の見やすい場所に毀損することなく、一か月間これを掲示しなければならない。

誓約書

会社が貴組合の組合員に対し、長期にわたり仕事上の差別、残業および休日出勤の差別をしたことは、神奈川県地方労働委員会で不当労働行為であると認定されました。会社は、今後再びこのような行為をしないことを固くお約束いたします。

昭和  年  月  日

総評全国一般労働組合神奈川地方本部

執行委員長 三瀬勝司殿

株式会社 明輝製作所

代表取締役 黒柳勝太郎

4 申立人のその余の救済申立てを棄却する。

理由

第1認定した事実

1 当事者

(1) 申立人総評全国一般労働組合神奈川地方本部(以下「組合」という。)は、肩書地に事務所を置き、一八支部六六分会約二、三〇〇名の組合員によつて組織されている労働組合である。

組合傘下の湘南地域支部明輝製作所大和分会(以下「大和分会」という。)および港北地域支部明輝製作所横浜分会(以下「横浜分会」という。)は、株式会社明輝製作所大和工場および同社横浜工場の従業員によつて、それぞれ非公然に組織され、昭和五一年一一月二〇日に公然化された。

(2) 被申立人株式会社明輝製作所(以下「会社」という。)は、肩書地に本社と工場を置き、大和市上和田に大和工場を、横浜市緑区に横浜工場を有し、家庭電気製品のプラスチック金型の設計、製作をしている企業で、従業員は約一九〇名である。

2 分会公然化

(1) 昭和五〇年ごろ、会社の大和工場では「大和分会」が横浜工場では横浜分会が、それぞれ非公然に組織されていた。両分会は、連絡を取り合いながら機関紙を発刊したり、作業環境や寮、食堂などの身近かな要求を実現しながら組合員の拡大に努めていた。昭和五一年一〇月三一日に大和分会が、同年一一月三日に横浜分会がそれぞれ定期大会を開催し、同年一一月二五日に公然化することを決定した。

(2) 昭和五一年一一月一五日、横浜工場長の鈴木勇は、設計の山田係長、高橋主任を呼び「大和の方で設計を中心とした組合が結成されているようだけれど君たち知らないか。」と尋ねた。

(3) 会社には従業員の親睦団体である親和会があり、当時横浜分会の副分会長でもあつた佐藤敬一が親和会の会長であつた。昭和五一年一一月一六日黒柳社長は、鈴木工場長を通じて佐藤敬一を渋谷に呼び出し、次のようなことを言つた。「横浜工場とか大和工場に組合らしきものが組織されているが君は知らないか。」、「親和会という形を今後組合という形に変えていつたらどうか。」、「皆が勉強して上部の人が入つてこないいい組合を作ろう。」

(4) このため、公然化は、昭和五一年一一月二一日から同年一一月二三日まで連休となることもあつて、同年一一月二〇日に早められた。

同年一一月二〇日、組合役員、分会役員は本社に出向き、社長不在のため五味川工場長(取締役)に、両分会の公然化通知書、組合の規約、要求書及び団体交渉申入書を手交した。

(5) 公然化当時、その組織の状態は、横浜工場では従業員八〇名中六四名が、大和工場では同じく六〇名中五四名がそれぞれ組合員(以下「分会員」という。)であった。

3 本件発生までの労使関係

(1) 会社の団体交渉拒否

会社は、組合の昭和五一年一一月二〇日付及び同年一一月三〇日付の団体交渉申入れに対し、支部分会規約及び組合員名簿の未提出並びに交渉主体が不明確であるということを理由に組合との団体交渉を拒否した。

この件について、当委員会は昭和五二年一月二一日、会社が当初から正当な理由なく拒否したものとして救済命令を発した(昭和五一年(不)第二八号)。これに対し会社は、再審査の申立てをして、その後も団体交渉の要求にまつたく応ぜず、又中央労働委員会においても、会社の再審査申立ては棄却された(昭和五二年(不再)第九号)。

(2) 会社の支配介入行為

会社は、分会公然化後、次のようなことを行つた。

〈1〉 昭和五一年一一月二三日に行われた親和会主催のサツカー大会に東京工場の従業員を参加させず、東京工場で懇親会を開かせた。

〈2〉 同年一一月二四日、大和工場の矢口製造部長は大和分会長の折腹の母親に電話をし、組合脱退を慫慂した。

〈3〉 同年一一月二五日、各工場でグループ長らへ、非組合員の範囲に関する一方的見解を配布した。

〈4〉 同年一一月二六日、横浜工場において、工場長、部長ら五名は、会議室にグループ長ら一八名を三名づつ分けて呼びだし、組合に対する中傷、誹謗などを行つた。

〈5〉 同年一一月二九日、大和工場においても、工場長ら五名は、会議室にグループ長ら一二名を集め、組合の中傷、誹謗などを行つた。

〈6〉 同年一二月一日、大和工場の天野、宮崎両係長は、分会員三名を大和民謡会館に呼びだし、社長の言葉を伝え、組合からの脱退をすすめた。

上記〈1〉から〈6〉の件について、当委員会は、会社の諸行為はいずれも支配介入行為であると判断し、昭和五四年二月一五日救済命令を発した(昭和五一年(不)第二八号)。

(3) 脱退届の郵送

昭和五一年一二月中旬、大和工場では天野係長、横浜工場では相沢係長が分会員の脱退書を五人分から一〇人分まとめ、大和分会長および横浜分会長宛に郵送した。

(4) 新労の結成

昭和五二年二月一六日、大和、横浜両分会を脱退した下級職制を中心に明輝製作所労働組合が結成された。

(5) 分会員の減少

大和、横浜両分会の組合員は減少の一途をたどり、本件申立ての差別行為が始まつた昭和五二年四月には大和分会八名、横浜分会三名となつてしまつた。

4 仕事内容

会社は、以下六名の分会員に対し、昭和五二年四月以降次のように仕事の与え方を変えた。

(1) 丹野誓志

昭和四八年三月入社、金型仕上げの仕事を担当し、申立時の組合の役職は大和分会分会長代行であつた。

〈1〉 倉庫整理

昭和五二年四月中旬、約一〇日間倉庫において断続的に古材、古くなつた機械、さびたボルト、工具、腐つた畳などの整理をした。

〈2〉 機械掃除

同年五月二三日から一週間ぐらい、倉庫において旋盤あるいは放電加工の古い機械の掃除をした。所属する鈴木グループに仕事が出たので、仕事があつたら、やらせるという約束だからやらせてほしいと青柳部長に話したら「まだ何でやらされているのか分らないのか、やつていろ。」と言われた。

〈3〉 屋根のペンキ塗り

同年七月二一日から工場屋根のペンキ塗りを命じられ、炎天下八月一〇日まで行つた。

但し雨が降つた八月八日の日は、更衣室、会議室などの掃除をした。この間、高部工場長に一、二度身体の調子が悪いから、ほかの人と替らせてほしいと頼んだが「まだ早い。そんなはずはない、まだ五日位じやないか。」とことわられた。

〈4〉 仕事取り上げ

同年八月一九日から、八月二七日まで会社は一切の仕事を取り上げてしまつた。

鈴木グループ長は「だまつてすわつていろ。」、「仕事より組合を優先するやつに仕事をやらせるわけにはいかない。」などといつた。

同年八月末から九月初めまで寮の非常階段のペンキ塗りをし、それ以降一一月中旬まで仕事取り上げは続いた。一一月中旬以降は小間使い的仕事が続いている。

(2) 上野充

昭和四六年三月入社、金型仕上げの仕事を担当し、組合の役職は大和分会書記長であつた。

〈1〉 倉庫整理

昭和五二年四月二一日から三日間、倉庫の掃除をした。五月一二日、一三日と倉庫でモデルを置くための棚作り、モデルの片づけなどをした。

〈2〉 グリース落し

同年四月二七日から五月一一日まで、五月二〇日から二三日まで旧型モデルのグリース落しをした。グリース落しは、石油で洗い、ウエスでふいて、細かいところはエアーコンプレツサーでとばすので、それが頭とか、顔にしよつちゆうかかり、半日ですぐ作業服を着替えたりしなければならなかつた。同じ仕事を前にもやつたが、自分の班の分だけで、しかも長くて半日であつた。ところが今回は大和工場の金型ばかりでなく、横浜工場からのもやつたし、しかも一人で行つた。

青柳部長は「お前らは分会に入つているから仕事をしたくないんだろう、だからやらせるんだ、まだ分らないのか。」と云つた。

〈3〉 機械のサビ取り

同年五月一八日、一九日、六月一四日、一五日倉庫で、使つていない機械のサビ落しをした。

〈4〉 その他

同年八月二日、冷房の送風口の網のよごれおとし、八月四日コンプレッサーの運搬、九月六日クレーン点検の手伝いなどをした。

昭和五四年五月七日退職

(3) 佐藤明

昭和五〇年三月入社、金型仕上げの仕事を担当し、分会の役職は大和分会分会委員であつた。

〈1〉 倉庫整理

昭和五二年七月八日から二九日まで、使わない古い金型材料の整理、部品を整理するための棚作り、加工用モデル型の整理などをした。

〈2〉 機械のサビ取り

同年八月、九月は、古い機械のサビ、よごれ落しなどを他の人が何回かした後又二度、三度と繰り返して行つた。その間天野係長に「会社のことより組合のことを優先する奴に仕事を任せるわけにはいかない。」、「なぜこんなことをさせられているか自分に聞いてみろ。」と言われた。

〈3〉 その他

工具室の在庫調べ、古い切断機ペンキ塗り、仕上げ台のホコリ払い、コンプレツサーの移動、更衣室、会議室の掃除、門扉のサビ取り、ペンキ塗りなどをした。

昭和五三年四月一〇日退職

(4) 兼田邦男

昭和四九年三月入社、金型仕上げの仕事を担当し、分会の役職は大和分会分会委員であつた。

〈1〉 ペンキ塗り

昭和五二年七月四日から八日まで及び七月一一日、冷房タンク脚のサビ落し、ペンキ塗り、工場屋根のサビ落し、掃除、ペンキ塗りをした。黒柳社長付は七月四日の最初の一時間とその日の午後やはり一時間位手伝つた。後の五日間も時々顔を見せ一寸手伝つたけれど、仕事の様子をみにきているという感じであつた。

昭和五四年五月三一日退職

(5) 清水昭二

昭和四六年三月入社、大型倣いフライス盤の仕事を担当し、分会の役職は横浜分会分会長であつた。

〈1〉 屋根のペンキ塗り

昭和五二年五月二四日、工場屋根ペンキ塗りをした。

〈2〉 旧型型ばらし

五月二五日から三日間、旧型型ばらしを行い、腰痛になり、三週間会社を休んだ。

〈3〉 焼入れ作業

腰部コルセツトを着用して六月二七日から出勤したが、相馬係長から「今は大型倣いフライスの仕事が少ない。又コルセツトをしてできる仕事は限られている。」といわれ「焼入れ」の仕事を引続き行つた。この仕事は本来の仕事の建物とは別の建物で、二人しかいない仕事場であつた。

〈4〉 雑用

昭和五三年五月頃「焼入れ」から雑用に廻され、工場長よりその日その日の仕事をその都度指示された。

昭和五三年一〇月分会脱退

脱退後本来のフライス作業に戻した。

(6) 市村輝雄

小型倣いフライス盤の仕事を担当していた。

〈1〉 グランドの草取り

昭和五二年五月二三日から六月三日まで、たつた一人でグランドの草取りをした。

昭和五二年六月二一日退職

5 残業および休日出勤

残業は原則的にはグループ長が仕事の進みぐあいを見て、グループ員に残業の依頼をするという形をとつていた。場合によつてはグループ員の方から自発的に残業することを申し出て、それをグループ長が認めることもあつた。

昭和五二年四月四日、大和工場において、各グループ長を通じて分会員に対して残業をさせない旨通告があつた。これについて丹野分会長代行と上野書記長が高部工場長に問い質すと「今まで頼んだ時にやつてくれないのだから、今後分会員にはやつてもらわなくていい。」という返事であつた。

横浜工場では、同年四月一三日に清水昭二が残業届を出したところ、拒否された。それから二、三日して再び残業すると申し出たら、加藤グループ長が「残業しないでいいと工場長からいわれている。」といつた。

結局、それ以降大和、横浜両工場において、分会員のみ残業および休日出勤が拒否され続けた。

6 その他の状況

会社は、以上の仕事差別、残業および休日出勤の差別のほか清水分会員、市村分会員、兼田分会員に対し、昭和五二年三月から五月にかけて「全国一般という共産党系の組合に入つている。つい最近は五〇名位で社長の家へ押しかけて、どなつたりしたので、そんなグループと早く切れますように。」という内容の匿名の手紙を親許に送るとか、佐藤明分会員に対し、昭和五二年一〇月六日同人が倉庫で鋼材を整理する仕事をしていたとき、黒柳社長付がきて、些細なことに因縁をつけ、やりかえすと、同人を投げとばした上、安全靴でしたたかに尻をけり上げるとか、上野分会員らが昭和五三年四月二七日分会の機関紙「だるま」を大和工場で配付していたところ、黒柳社長付、青柳部長、天野係長らがきて「だるま」をとり上げようとして破つたり、メガホンをとり上げる等の暴行を加えた。

本件結審時には分会員は丹野分会員一名のみとなつた。

以上の事実が認められる。

第2判断及び法律上の根拠

1 分会員を雑作業等に従事させたことと不当労働行為について

(1) 申立人組合は、会社が分会員に対し昭和五二年四月から一斉に仕事差別を始め、組合活動の中心となつて活動していた丹野ら六名の分会員に対して、倉庫整理、機械のサビとり、工場屋根のペンキ塗りなど見せしめ的な仕事をさせたと主張する。そして救済として組合は分会員と他の従業員との仕事上の差別をやめさせ、昭和五二年三月当時の業務以外の業務を行わせないことを申立てる。

これに対して会社は、これらの仕事は職場環境改善のための作業であつて、全従業員の一致協力のもとで行われたものであり、決して分会員だけに差別のため行わせたものでないと主張する。

即ち、〈1〉会社は、昭和五二年四月頃より受注が減少し、その仕事量が極端に少なくなつたので、それまで忙しくて十分に手の回わらなかつた職場環境を改善するための作業を一括して処理することにしたこと、〈2〉その作業を担当する人員として会社は各種の職務のうち、仕事量の減少した職務を担当するグループの中から選出することにし、技術が低く仕事がまわらなくなつた者(通常は経験年数の少ない若手)に職場環境改善のための作業を行わせることにしたこと、〈3〉各グループの仕事の量、そしてグループ構成員の技術程度を具体的に検討し、当該作業の担当者を決定したこと、〈4〉組合が問題としている昭和五二年四月からの作業以外にも会社創立以来今日に至るまで、全従業員の一致協力によつて、このような作業を何回も実施していること、等をあげ、会社が分会員だけを差別して特別に作業をさせたものではないと主張するので、以下判断する。

(2)〈1〉 まず丹野分会員についてみると、認定した事実4の(1)〈1〉、〈2〉、〈3〉、〈4〉のとおり、昭和五二年四月中旬から約一〇日間断続的に倉庫整理、同年五月二三日から約一週間古い機械の掃除、同年七月二一日から雨天日の八月八日を除き八月一〇日まで炎天下に工場屋根のペンキ塗りを命ぜられ、同年八月一九日からは仕事をとりあげられている。たしかに昭和五二年四月当時、会社における仕事の量がかなり減少したのは事実であり、会社がその時期に日頃できなかつた環境整備の一環として倉庫整理、ペンキ塗り等をさせる必要性があつたことも認められないではないが、会社は丹野分会員に昭和五二年五月二三日から約一週間古い機械の掃除を倉庫で行わせたとき、丹野が同分会員の所属する鈴木グループに仕事が出たので、仕事があつたらやらせるという約束だからやらしてほしいと青柳部長に頼んだのに、「まだ何んでやらされているのか分らないのか、やつていろ。」と仕事差別を意図した発言をしており、また、同人が炎天下のペンキ塗りで身体の調子をこわした為、高部工場長に一、二度身体の調子が悪いから他の者と替えてほしいと頼んだ際「まだ早い、そんなはずはない、まだ五日位じやないか。」と拒絶し、あるいは「組合の仕事を優先するような奴には仕事をやつて貰わなくてもいい。」という理由で仕事をとりあげたりした一連の事実に照らすと、会社が丹野に命じた上記の仕事は、同人が分会員であることを理由とした意図的な仕事差別と認めざるを得ない。

〈2〉 次に上野分会員についてみると、認定した事実4の(2)の〈1〉、〈2〉、〈3〉、〈4〉、のとおり、上野は、昭和五二年四月二一日から三日間倉庫の掃除をし、同年五月一二、一三日と倉庫での棚作り、モデルの片づけ、同年四月二七日から五月一一日まで一五日間、五月二〇日から二三日までの長きに亘り、しかも一人で旧型のグリース落しをしている。グリース落しは会社でも認めるようにいわゆる汚れ作業で誰でもいやがる仕事である上に、従来もやつていたとはいえ、所属するグループの金型についてのみ、しかも長くて半日位であつたにもかかわらず、上野の場合は、大和工場の金型ばかりでなく、横浜工場からきた分まで一人で長時間にわたりさせられており、会社がそうしなければならなかつた特段の理由も疎明されていない。しかも上野がこのグリース落しをしているとき青柳部長から「お前らは分会に入つているから仕事をしたくないんだろう、だからやらせるんだ」といわれた点を併せ考えると、上野の場合も丹野と同様、会社が意図的に仕事差別をしたと認めざるを得ない。

〈3〉 佐藤明分会員についてみると、認定した事実4の(3)の〈1〉、〈2〉、〈3〉のとおり、昭和五二年七月八日から二九日まで倉庫で古い金型材料モデルの整理、棚作り等を行い、同年八月から九月にかけて古い機械のサビ落し、ペンキ塗り等を他の人が何回か行つた後、二度、三度と繰り返しさせられたほか、工具室の在庫調べ、コンプレッサーの移動、更衣室、会議室の掃除等を命じられている。会社は、佐藤は弱視で本来仕上の仕事に向いていないので、前記のような雑用をさせたと主張するけれども、すでに他の人が何回か行つていて、重ねて行う必要が特に認められない古い機械のサビ落し、ペンキ塗りを、何度も繰り返し行わせた点のみをとらえても、会社側の意図は多分に見せしめ的であり、かつ、またこれらの仕事中、天野係長は「会社のことより組合のことを優先する奴に仕事を任せるわけにはいかない。」、「なぜこんなことをさせられているか自分に聞いてみろ。」等と佐藤にいつた事実を併せ考えると丹野、上野の場合と同様、意図的な仕事差別であつたと認めざるを得ない。

〈4〉 兼田分会員についてみると、認定した事実4の(4)〈1〉のとおり、昭和五二年七月四日から八日までと七月一一日の六日間冷房タンク脚のサビ落し、ペンキ塗り、工場屋根のサビ落し、掃除、ペンキ塗り等を行つている。申立人組合が主張する同組合員の仕事上の差別の内容は以上の一点である。会社はペンキ塗りは分会員にのみ差別的にさせたのではなくて、分会員以外の者即ち大和工場においては三沢生産技術部長、黒柳社長付、青柳工場長付部長、仕上グループの酒井等がペンキ塗りをしているのであつて、ペンキ塗り自体が仕事差別ということはいえないと主張する。確かに会社の主張するように、分会員以外の者も屋根のペンキ塗り、門、ポールのペンキ塗りをしていることは認められるけれど、さきに仕事差別を認定した丹野分会員や兼田分会員のように長期間に亘り、殆んど継続的集中的にさせている例はなく、三沢、黒柳、青柳等の職制の場合は午前中一時間とか午後数時間というように本来の仕事の合間に短時間、しかも断続的に行つているに過ぎず、酒井等についても、門、ポールを数日間させているが危険を伴なう屋根のペンキ塗りはさせていない。以上の事実を総合勘案すると会社が兼田に命じた上記ペンキ塗りの仕事は意図的な仕事差別であつたと推認せざるを得ない。

〈5〉 清水分会員についてみると、認定した事実4の(5)、〈1〉、〈2〉、〈3〉、〈4〉のとおり、昭和五二年五月二四日工場屋根のペンキ塗りを、同月二五日から三日間旧型型ばらしをそれぞれ行つている。清水はこれによりもともと固かつた腰を痛め、第一腰椎体変型症で三週間会社を休んだが、六月二七日から「焼入れ」作業を命じられ、その後、昭和五三年五月頃からは雑用に廻され、工場長よりその日その日の仕事をその都度指示されるようになつた。清水は昭和五三年一〇月に分会を脱退した後、本来の仕事であるフライス作業に戻つている。

会社は、清水に焼入れ作業を命じたのは、同人が上記のように、三週間会社を休んだ後コルセツトを着用して出社したので、そのような状態では清水の本来の仕事であるフライス作業を続けさせるのは、安全管理の面からも問題があるとして焼入れ作業に廻したと主張し、会社のとつたこの処置はやむを得なかつたものと考えられるけれども、その後、すでに腰の痛みもとれ、平常の作業についても差支えない同人に対し、昭和五三年五月頃からきまつた仕事を与えず、毎日出勤する度に工場長が仕事の指示を与えて雑用をさせたことには特段の理由も認められず、この事実を、同人が分会を脱退した後に本来のフライス作業に戻した事実と併せ考えると、会社が同人に上記の雑作業を命じたことは意図的な仕事上の差別であつたと認めざるを得ない。

〈6〉 市村分会員についてみると、認定した事実4の(6)、〈1〉のとおり、横浜工場において昭和五二年五月二三日から六月三日までの間一人でグランドの草取りを命じられている。会社は当時仕事の量が大幅に減つた為、環境整備の一環としてさせたものであり、従来も手のあいた者が行つてきており、特に奇異なことではないと主張する。しかし会社が市村に命じた草取りは昭和五二年五月二三日から六月三日の長期に亘り、継続的に、しかもたつた一人でさせている。当時としては仕事がひまで、手のあいている者はほかにも当然いたはずであり、市村と交替でさせることもできたはずであるにもかかわらず、市村のみを長期に亘り草取りをさせたのはどう考えても奇異なことであり、これは多分に会社が見せしめ的に命じた仕事上の差別であつたと認定せざるを得ない。

以上六人の分会員に対する会社の仕事上の差別行為は、組合の存在を嫌悪した会社が組合員に対して意図して行つた不利益取扱であり、またそれによつて組合の弱体化をはかつた支配介入行為であると判断せざるを得ず、労働組合法第七条第一号および第三号に該当する不当労働行為と認められる。

2 残業、休日出勤の差別と不当労働行為について

(1) 組合は、会社が昭和五二年四月四日、分会員に対して、残業および休日出勤をさせないことを決定通知し、同日以降残業、休日出勤させないことは、分会員以外の従業員との不当な差別であると主張する。これに対して会社は、分会員らが残業しなくなつたのは昭和五二年四月四日以前からであり、むしろ組合決定により分会員らが自ら残業を拒否しつづけたものであると反論する。

すなわち、組合は昭和五一年一二月一三日付の会社に対する闘争宣言で時間外労働拒否を宣言するとともに、同月一五日付のビラでもそれをうたつている。また上記闘争宣言が提出され、ビラが配付された時期を境に分会員の残業が少なくなつている。さらに組合が会社に対して残業差別に対する抗議書、要求書を提出したことは一度もなく、団交においても正式に要求したことはないと主張する。

よつて以下判断する。

(2) 組合の昭和五一年一二月一三日付闘争宣言は、分会公然化後会社が団体交渉にまつたく応じないため、組合が闘うことを宣言したものと認められるが、同宣言を記載したビラには闘争方法及び内容として「今後の闘争方法は次のものであり、時期を見て次々に展開していくものである。リボン腕章の着用、赤旗掲揚、時間外労働拒否、ビラ張り、ビラ配布、ストライキ、その他合法的な全ての方法と内容」等が記載されている。これによればたしかに組合は会社の団交拒否に対してその闘争方法として時間外労働拒否の方針を掲げてはいるが、組合がこの方針にもとづき具体的に時間外労働拒否を決定し、組合員に指令指示したと認めるに足る疎明は存しない。また、このビラが配布された昭和五一年一二月という時期は、前記認定で明らかなとおり、会社の団体交渉拒否及び種々の支配介入行為により組合組織が動揺しており、会社職制が分会員の脱退届をまとめて分会長宅に郵送していた頃のことである。この時期に組合が組織の防衛対策に追われ、いきおい組合員の残業就労が少なくなつたとしても特に不思議ではない。しかも、時期的には昭和五一年一二月頃のことではなく、組合が本件で主張する残業等の差別が行われたのは、昭和五二年四月以降のことである。また、昭和五二年二月には、被申立人会社に企業内労働組合が結成され、その組合員に対しては、残業、休日出勤をさせていたことが認められる。会社は、分会公然化以降組合の団体交渉申し入れに対し何ら誠意ある態度を示さず、まつたく団体交渉に応じていなかつた。団体交渉に応じようとしない会社に対して、組合が残業、休日出勤上の差別の事実を訴え、抗議しようとしてもその方途がないわけであり、以上の点からも会社の主張は認められない。

(3) 一方認定した事実5のとおり昭和五二年四月四日大和工場においては、各グループ長を通じて分会員に対して残業させないという通告があり、横浜工場では同年四月一四日に清水分会員が残業届を出したところ拒否され、その二、三日後に再び残業すると申し出たところ、加藤グループ長が「残業しないでいいと工場長からいわれている。」といつた事実、それ以降大和、横浜両工場において分会員のみ、クレーン作業講習会出席のための残業を除き、本来の仕事に関する残業および休日出勤が拒否され続けていることは明らかであり、会社が組合員についてのみ右拒否をするについての合理的な理由は何ら考えられないことから、会社の右拒否行為は組合弱体化を意図した不利益取扱乃至支配介入行為であると判断せざるを得ず、労働組合法第七条第一号、第三号に該当する不当労働行為と認められる。

(4) なお、申立人組合は、会社が昭和五二年四月五日以降、分会員について残業および休日出勤の取扱いについて差別を是正されるまでの間、各分会員が残業および休日出勤をしたものとして、これにより得べかりし割増賃金相当額の支払を求めている。会社が、分会員に一律に残業および休日出勤を拒否し、それによつて分会員が時間外就労による割増賃金を得る機会を奪つたことは組合員に対する不利益取扱であることは上記判断のとおりであるから、会社は、主文のとおり分会員が残業および休日出勤をしたものとしてその割増賃金相当額を支払わねばならない。

ただし、現在分会員は丹野分会員一名のみであり、他の分会員はすでに会社を退職し、あるいは申立人組合を脱退しているので、これら退職者、脱退者についてはそれぞれ退職、脱退の時までの割増賃金相当額の支払をもつて足ると考えられる。

3 損害金の請求について

申立人組合は会社の前記1の仕事差別による不当労働行為について、分会員のうち仕事差別が明確になつた同組合員に対し、七か月分の賃金相当額の支払いと、さらに申立人組合に対し、昭和五二年四月以降差別が是正されるまで各月当り金一〇〇、〇〇〇円の金員を支払うよう要求し、その理由として会社は分会員が少数化した時機を期して、職場から分会員を孤立させ、かつ分会員各人をそれぞれ分断した手段で、見せしめ的な屈辱的仕事差別を強いてきた。その結果、分会員は精神的にも肉体的にも筆舌に尽し難い苦痛をうけたので、差別攻撃そのものの撤廃のみでは回復し得ない損害を蒙つた。またこの差別攻撃によつて組合がうけた団結侵害による被害も会社が賠償すべきことは当然であると主張するので以下判断する。

前記1、2の判断のとおり、会社が分会員をほんらいの業務内容と異なる雑作業等に従事させて、仕事上の差別をしたことは不当労働行為と認められるが、分会員らはいずれも、その間、その本来の作業に従事した場合にうけるべき賃金に相当する額の支給をうけており、その点について争いはない。従つて本件においては主文の範囲をこえてまで、あえて救済を必要とする特段の事情が認められないので、本請求は認め難い。

よつて労働組合法第二七条および労働委員会規則第四三条の規定により主文のとおり命令する。

(別紙(二))

再審査命令書

(中労委昭和五五年(不再)第五六号 昭和五七年九月一日 命令)

再審査申立人 株式会社明輝製作所

再審査被申立人 総評全国一般労働組合神奈川地方本部

主文

1 初審命令主文第2項を次のとおり変更する。

被申立人会社は、申立人組合の組合員に対して、昭和五二年四月四日付けの残業及び休日出勤拒否の通告がなかつたものとして取り扱い、残業及び休日出勤について差別してはならない。

被申立人会社は、組合員丹野誓志に対し、昭和五二年四月五日以降被申立人会社が同人に対して残業及び休日出勤につき差別をやめるまでの間、同人が残業及び休日出勤によつて得たであろう賃金相当額に年五分相当額を加算して支払わなければならない。

2 その余の本件再審査申立てを棄却する。

理由

第1当委員会の認定した事実

当委員会の認定した事実は、以下のとおり改める以外は、初審命令の理由第一の認定事実と同一であるので、これを引用する。

1 初審命令の理由第1の1の事実中「申立人」を「再審査被申立人」に、「被申立人」を「再審査申立人」に改める。

2 初審命令の理由第1の3の(1)の事実中「、当委員会」を「、神奈川県地方労働委員会(以下「地労委」という。)」に、「これに対し会社は、再審査の申立てをして、その後も団体交渉の要求にまつたく応ぜず、又中央労働委員会においても、会社の再審査申立ては棄却された(昭和五二年(不再)第九号)。」を「これに対し会社は、再審査の申立て(昭和五二年(不再)第九号)をしたが、当委員会は、会社の再審査申立てを棄却した。」に改め、末尾に次のように加える。

会社は、東京地方裁判所に行政訴訟(東京地裁昭和五二年(行ウ)第三五三号)を提起し、同裁判所は請求を棄却した。更に会社は、東京高等裁判所に控訴(東京高裁昭和五五年(行コ)第三六号)したが、係争中に当委員会が支持した初審命令主文第1項及び第2項に係る部分の訴えを取り下げ結局同第3項に係る部分(いわゆるポスト・ノーティス)のみが争われ、同裁判所は原判決を取り消し、訴えを却下した。当委員会は本案についての判断に基づく控訴棄却等を求め、上告(最高裁昭和五六年(行ツ)第一六二号)し、現在係争中である。

3 初審命令の理由第1の3の(2)の事実中「、当委員会」を「、地労委」に改め、末尾に次のように加える。

これに対し、会社及び組合は、それぞれ再審査の申立て(昭和五四年(不再)第一三号、同一四号)をし、当委員会はいずれも棄却した。会社は、これを不服として東京地方裁判所に行政訴訟(東京地裁昭和五六年(行ウ)第九八号)を提起し、現在係争中である。

4 初審命令の理由第1の4の(1)の事実中「、申立時」を「、初審申立時」に改める。

5 初審命令の理由第1の4の(1)の〈4〉の事実中「仕事より組合を優先するやつに仕事をやらせるわけにはいかない。」を「組合の仕事を優先するようなやつには仕事をやつてもらわなくてもいい。」に改め、「一一月中旬以降は小間使い的仕事が続いている。」を削る。

6 初審命令の理由第1の4の(3)の〈1〉の事実中「昭和五二年七月八日から二九日まで」を「昭和五二年七月八日から一二日まで、一六日から二〇日まで、更に二五日から二九日まで」に改める。

7 初審命令の理由第1の4の(4)の〈1〉の事実中「後の五日間も時々顔を見せ一寸手伝つたけれど、仕事の様子をみにきているという感じであつた。」を「後の五日間も時々顔を見せちよつと手伝つた。」に改める。

8 初審命令の理由第1の4の(5)の〈2〉の事実中「腰痛」を「第1腰椎体変型症」に改める。

9 初審命令の理由第1の4の(6)の事実中「小型倣いフライス盤の仕事を担当していた。」を「小型倣いフライス盤の仕事を担当し、分会の役職は横浜分会分会委員であつた。」に改める。

10 初審命令の理由第1の5の事実中「、分会員のみ残業および休日出勤が拒否され続けた。」を「、クレーン作業講習会出席のための残業を除き、分会員のみ残業および休日出勤が拒否され続けた。」に改める。

11 初審命令の理由第1の6を次のように改める。

6 その他

初審結審時には、分会員は丹野分会員一名のみとなり、他はいづれも組合を脱退した。

第2当委員会の判断

会社は、本件初審命令が、分会員六名に対して他の者と仕事上の差別及び分会員に対して残業、休日出勤の差別をしたことが、いずれも不当労働行為であると判断したことを不服として再審査を申し立てているので、以下判断する。

1 分会員を雑作業等に従事させたことと不当労働行為について

(1) 会社は、〈1〉当時仕事の量が極端に少なくなつたので職場環境を改善するため、各種の職務のうち、仕事量の減少した職務を担当するグループの中から構成員の技術程度を具体的に検討し、当該作業の担当者を決定して通常業務以外の作業につかせたのである。したがつて丹野ら六名の分会員に対して与えた仕事は、職場環境改善のための作業であつて、全従業員の一致協力のもとで行われたものであり、決して分会員だけに差別のため行わせたものでない、〈2〉また、上司が、分会員に対しみせしめ的な行為などと発言したとされたことについては、当時分会員以外の者にも同種の仕事を命じており、それ以前以降においても同種の仕事を命じていることをみても、分会員に対し、そのような発言をするわけはなく、不当労働行為に当たらない旨主張する。

(2) この主張に対する当委員会の判断は、初審命令の理由第2の1の(2)の判断と同一であるので、これを引用する。

なお、上記〈2〉の会社主張については、前記第1の4の認定のとおりの事実が認められ、この主張は、採用し難い。

2 残業、休日出勤の差別と不当労働行為について

(1) 会社は、分会員らが残業等をしなくなつたのは、〈1〉昭和五一年一二月一三日組合が、会社に対し時間外労働拒否を宣言し、同月一五日にビラを配布した時期を境に分会員の残業が少なくなつているから、むしろ組合決定により、分会員らが自ら残業を拒否し続けたものといえること、〈2〉また、当時会社の業務量は極端に少なくなつてきた時であり、全体として残業のない時期であつたこと、〈3〉更に、会社の仕事の性質上、納期にせまられるということがあり、会社としては残業を拒否する組合の態度では、分会員を含めた作業計画がたたないので、かえつて組合に対し協力を要請していたものであること、〈4〉なお、組合から残業に対する抗議書、要求書を提出されたことは一度もなく、団交においても正式に要求されたことはないことからも、残業等について差別をしたことはなく何ら不当労働行為に当たらない旨主張する。

(2) この主張に対する当委員会の判断は、以下のとおり改める以外は、初審命令の理由第2の2の(2)、(3)及び(4)の判断と同一であるので、これを引用する。

〈1〉 初審命令の理由第2の2の(3)の文中「同年四月一四日」を「同年四月一三日」に改める。

〈2〉 初審命令の理由第2の2の(4)の文中「割増賃金相当額」を「賃金相当額」に「割増賃金」を「賃金」に改め、「ただし」以下を削り、(4)の次に(5)として次のように加える。

(5) 会社は、初審命令が救済している分会員のうち丹野を除く他の分会員は、初審命令当時すでに組合を脱退しているのであるから、組合が同人らに対する賃金相当額の支払いを求める利益はないといわざるを得ず、組合員資格喪失者に対し、賃金相当額の支払いを命ずることは許されないと主張する。

他方組合は、本件については過去の残業、休日出勤差別による割増賃金差別について救済を求めているのであつて、この賃金差別により個々の組合員が多額の損失を受けたという事実は、たとえ組合員が、その後脱退、退職、死亡のいずれの事由が生じても消えるものではないと主張し、更に、このことは脱退者について組合に救済を受ける利益がないとの会社の主張は、脱退者に対する不当労働行為のやり得を認める結果となり、許されないと主張する。

ところで、本件において組合は、その救済として分会員について残業、休日出勤の取扱いについて差別を是正されるまでの間、各分会員が残業及び休日出勤をしたものとして、これにより得たであろう賃金相当額の支払を求めているのであるが、初審命令で救済されている分会員の中で初審結審時にすでに組合を脱退している者については、同人らは組合による救済を求める意思を明らかにしていないのであり、他に格別の事情も認められない本件においては、組合は同人らの不利益是正に関する被救済利益を失つたものと解するのを相当と考える。したがつて、これと反する初審判断は取消しをまぬがれない。

以上のとおりであるので、上記判断に基づき、初審命令を主文のとおり変更することを相当と認めるほか、本件再審査申立てには理由がない。

よつて、労働組合法第二五条及び第二七条並びに労働委員会規則第五五条の規定に基づき、主文のとおり命令する。

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